4月8日 釈尊の生誕を祝う法会のことで、尊い教え、かけがえのないいのちを有り難さをかみしめる日とされる。釈尊は、今から約2,500年前、現在のインド国境に近いネパールの地、ルンビニーの花園で誕生した。

<本部式典>

大聖堂はじめ全国の教会で『降誕会』式典が行われ、大聖堂には会員約4,100人が参集した。読経供養が行われ、導師を務められた庭野光祥次代会長が庭野日鑛会長の啓伯文を奏上。聖壇上に設けられた花御堂で灌仏した。また、稚児総代が稚児讃文を奏上した。2017降誕会■庭野日鑛会長

「私たちのいのちは、両親はじめ全ての先祖から受け継いだかけがえのないものである」と強調し、その尊さをかみしめて生きる大切さを説いた。

<長岡教会>

本部式典をインターネット配信により拝聴。その後、長岡教会の式典。青年男子部員による体験説法・教会長のかみしめ・灌仏供養が行われた。教会入り口では、甘茶がふるまわれ、震災復興支援募金の財施をさせて頂く会員の笑顔があふれていた。IMG_1398IMG_1406 IMG_1404

■体験説法(青年男子部)

今まで、自分の都合で自分にとって良いところだけを取って、あらゆるものから逃げる生き方をしてきた。子どものことで病院に行けば、医師に対し睨みつけていた。それも実は、事実を受けきれずに逃げ出す手段だった。それ以外でも弱い自分とは逆に強がる自分が多々あり、多くの方に負担をかけ自分が自分自身に押しつぶされそうになっていた。そして、ご指導を頂きながら多くの方々に支えて頂くことにより、おかげさまで ありのままの自分に気づき見つめることができた。逃げずにしっかりと自分自身を内省し、精進していきたいと述べた。IMG_1389

■新井教会長

人としてのいのちを自ら生かすことが大事。いのちを頂いていることに感謝しないということも殺生につながる。人間に生まれるということは、尊いと何度も教えて頂いていますが、「おギャー!」と生まれて、ほっとかれて生きてきた人はいない。手をかけて頂かないと成長もできない。生きていけない。多くの方に手をかけて頂いて成長していることを考えると、先祖から引き継ぎ、支えられているいのちに気づく。『降誕会』の機会にこのことに気づき、なるほど!そうだな!と繰り返し思う中で、本当の生き方を見つめ改めることが大事。人のためにいのちを使うことが最高の生き方。

「花は愛され、惜しまれて落ちる」 「草は嫌われても生えてくる」 と教えていただく。花も草も自然の道理。いのちに色はないが、色をつけるのは自分自身。大切なことに気づかないと暗くなる。「いのちは、みんな尊い」と会長先生に教えて頂いた。

体験説法にもありましたが、自分で色をつけて…自分で腹を立てたり… しかし、そこで改めて自分を振り返って考えてみると、すべてが尊く見えてくる。親に産んでくれと頼んだことはない。物心ついたらこんな自分になっていた…などと言うのは、自分のいのちを殺生していることと同じ。

引き継がれ、支えられ育てて頂いた大事ないのちを、自ら生かし共に精進して参りたいと説いた。

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